多摩マイライフ包括支援協議会の渥美京子です。
3回目は株式会社キャリア・マム(本社・多摩市)代表取締役の堤香苗さんです。
95年に、ママ友3人と立ち上げた育児サークルで、健常児も障がい児も関係なく、親子で楽しむイベントを開催。インターネットもはしりの頃に、約500組の親子が集まったそうです。
「小さな子どもがいても、わずかな時間でも働きたい」という多くの声を受けて創業。
今では全国に10万人の主婦会員を抱え、多様な働き方の創出と、女性のキャリアと社会をつなぐため、アウトソーシングやキャリア支援事業を展開されています。

渥美 堤さんと初めてお会いしたのは2014年、多摩マイライフ包括支援協議会が初めて「多摩健幸甲子園」のイベントを企画したときでした。堤さんは32歳で多摩の地で起業されましたが、きっかけは何だったのですか。なぜ多摩市を選んだのですか。

堤 多摩に住んでいたから(笑)。
創業のきっかけは2つあります。ひとつは、子宮がん検診でグレーと出て、死を意識した体験です。 「人生を振り返ったら後悔だらけ。生きていた証となるような、社会に役立つ何かをしたい」
と。
もうひとつは、障がいをもつ子どもとそのお母さんとの出会いです。
私は子どもが生まれ、「公園デビュー」した時、公園で出会うお母さんたちの「いけてなさ」にびっくりしました。20代はテレビ局で働いていたのですが、それまで私がいた世界の人たちとぜんぜん違っていて、「いけてなさ」にがっかり、唖然としました。
今にして思えば、傲慢なのですが「お母さんたちを変えなくてはダメだ」と思ったんですね。
そんなある日、アルビノという先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患をもつ子どもを連れたお母さんがいました。その親子が近づいてくると、みんな、さっといなくなる。気にはなりつつ、そのお母さんと話をする機会はないまま、半年後に偶然、夜8時の公園で会いました。
私は内心、
「こんな夜遅い時間に子どもと公園にくるなんて、非常識」
と思ったものの、当たり障りがないように
「お昼寝が長引いちゃったんですか?」
と声をかけました。すると
「仲間に入れてもらえず、公園ジプシーなんです。だから、夜、公園に連れてきて遊んでいるんです」
「脳天が~ん、」でした。そんなこともわからず、わかった気になっていた自分のバカさ加減・・・。
「おまえも仲間はずれにしている人たちと同罪や」と。
そのときは、そのお母さんに「そうなんだ」しか言えませんでした。
外見がみんなと違うということだけでコミュニケーションがとれないってどういうこと? 誰も悪くないのに、なぜ?と自問自答しました。
テレビ朝日では芸能レポーターをしていた20代、子どもたちの死に関する報道を見聞きするたび「なぜ、声をかけてあげないんだろう」「親と子どものかかわり方はどうなっているんだろう」と思っていたことを思い出し、その瞬間、「障がい」がドミノ倒しのようにつながりました。
小さな違いが大きな溝になり、そのことに気づかない親が育てた子どもがいじめや仲間はずれをしてしまう。人間は一人ぼっちになると死んでしまう。一人でも理解者がいれば支えられる。
私は癌で死ぬかもしれないというのに、まったく私ときたら偽善じゃないの。つみあげてきた生き方に気分が悪くなりました。人の物差しで生きている、と。基準値は自分。他者がどう思うと関係ない。全然違うところに活路を見出そう。仕事で自分の価値を発揮したい。苦しんでいる人、孤独の中にいる女性たちのための橋渡しができるような仕事をしたい。それが会社を立ち上げる原動力となりました。

渥美 それが23年前。

堤 はい。妻でも、お母さんでも、娘でもない、自立した個人をつなぎたいという思いからです。幸い、取り組みが新聞や育児雑誌でとりあげられ、3ケ月で1500人のネットワークができました。死ぬ気になれば何でもできる。
「1500人を買ってください」と訴え続けました。

渥美 ビジネスモデルは?

堤 「みんな何をしたい?」ってヒアリングして、人と仕事をつなぐ。つなぐのは得意なんです。

渥美 人と仕事をつなぐ?

堤 鬼ごっこしたい、じゃんけんもしたい、となったら両方やっちゃう。自由に選べるということを、身体をはって守りたい性格です。

渥美 癌は?

堤 検査結果はシロで、癌ではなかったですが、死を意識する体験をしたおかげで、「命をどう使うのか」「使命とは」を深く考えるきっかけになりました。

渥美 今の課題は何ですか?

堤 女性たちに、自分自身の生き方をもってほしい、そのために、どんなお手伝いができるだろうかと考えています。
今年5月に父が亡くなり、一人暮らしになった母を多摩に呼び寄せました。母は私が生まれるまで看護師をしていたのですが、結婚後の60年間は専業主婦です。母は父の言う通りに、自分で判断するということをしないままで生きてきました。30年間離れていた母と暮らし始めて、その重さに「ずしん」です。
社会の中で稼がず、誰かに依存して生きてきた女性。自分で判断して行動して生きてきた私からみると、すごい違和感がありました。たとえば、母は携帯電話の掛け方がわからないんです。今日も朝から30回、携帯電話の使い方を練習しました。「わからない」「一人じゃ無理」といわれると、人に依存することに嫌悪感をもつ私は、イラッとしてしまう。そんな母と向き合いながら、同時に母の幸せをどう作るのかと。で、こういう母のような女性が少なくないことに気づいたのです。そして介護を抱えている女性たちの存在にも。キャリア・マムは何ができるのか。新たな挑戦です。

渥美 お話を聞いていると、人生の節目節目での出来事を仕事に生かしていらっしゃる。等身大の生き方を大切にされているように感じます。

堤 その人がもっている力を生かし、働いて、誰かの役に立ち、「ありがとう」と言われ、お金を得ること。本質はそこだと思います。明日も生きていこうと思う。

渥美 キャリア・マムのこれからについてお聞かせください。

堤 息子が2人います。下はまだ高校一年です。かっこいい生き方を子どもに見せたい。みんな同じですよね。仕事をしているお母さんはかっこいいのだ、と見せてあげてほしい。それを目指しています。

渥美 昨年、多摩センターにあるココリアの7階に保育室のある仕事場「コワーキングCOCOプレイス」をオープンされました。

堤 私の、たったひとつの後悔が「普段の子どもの姿がもっと見たかった」なんです。

渥美 小さな子どもの成長を近くで見守りながら仕事ができたら、ですね。その後悔をカタチにされたのですね。

堤 コワーキングCOCOプレイスは経営的にはまだまだこれからですし、うまくいかないこともありますが、みんなが面白いと思う場づくりをしていきたい。相手も嬉しいと自分も嬉しい。価値のないものに価値をつくる。そんな運営をしたいです。

渥美 働き方を少し変えることで、生き方・暮らし方の選択肢が広がりますね。

堤 こんなコワーキング施設を全国に作りたいと考えています。自分が暮らす場所で働くという選択肢や働くことが面白いと思う場所を増やしたい。5年に一つ新しい事業をしようと決めているのですが、その1つがコワーキングです。

渥美 最後に座右の銘を。

堤 『 混沌と秩序の間を走る。真剣白羽の歩わたり 』

渥美 今日はありがとうございました。