丘の上薬局を展開する 株式会社ティー・エム・シー 代表取締役社長 戸塚 淳司さんに聞く
賛助会員さん紹介の4回目は、「丘の上薬局」を多店舗展開している「株式会社ティー・エム・シー」代表取締役社長 戸塚 淳司さんにお話をうかがいました。
『 婚約者とサンリオピューロランドに行き、ベネッセと出会い、多摩センターに丘の上薬局が誕生 』
私は昭和36年、日野で生まれました。その前年、父は日野市豊田の駅前で薬局を開き、その後、地元の薬剤師会長なども勤めたりしましたが、私は家業を継ぐ意識はあまりなかったです。
当初 就職はコンピューターのシステム会社で営業をしていました。大手製薬会社や大学の先生などにパソコンやソフトを販売する仕事です。薬局にポスレジ、EOS・・その走りの頃です。勤め始めて3年勤めたときに、父が「帰ってこい」と。それで父の会社(戸塚薬局)に勤めることになりました。
折しも、医薬分業という波が薬局に押し寄せていたころです。当時、父は「医薬分業の時代がきた。小売りはやめようか」と悩んでいました。
私は、いろいろな方の意見を伺いました。
大手ドラックチェーンの方は「調剤の粗利は国家が決める。小売りは青天井だからチャンスがある」 父親は「小売りを辞めないと処方箋が来ない」
小売りの師匠は「相談薬局をやりなさい」
たくさんの意見を伺い、私が出した結論は、「ぜんぶ、やる!」でした。
そういうと「それは無理だ」と言われる方もいました。私はアメリカ視察を機に「絶対にやるぞ!」と心に誓いました。
そんな中で、ある出会いがありました。併設型店舗開発で多摩センターにできたばかりのピューロランドを見に行ったときのことです。ふとベネッセ東京ビル建築計画の看板を見て、「ベネッセがあるこの場所に店を出したい」と直感が走りました。ベネッセの本社がある岡山まで行き、担当役員に会い、こう話しました。
「ドラックストアがあり、健康によい商品が並んでいて、お医者さんもいたら、従業員も安心です。御社の目の前の低層の150平米を任せてください」
ベネッセは、この思いを受け止め場所を貸して下さることになり、1994年3月に「丘の上薬局」をオープンすることができました。
ちょうどその頃、もうひとつの出会いがありました。医療法人社団めぐみ会理事長の田村豊先生です。オープンしたばかりの丘の上薬局の待合に、親子連れのお客様がいらっしゃいました。私は何気なく「処方箋をお待ちですか」と声をかけたところ、なんと田村先生でした。『隣に開業予定の田村です』理事長との出会いは鮮明に覚えて居ます。その年の9月に移転前の田村クリニック様がベネッセビルに開業されることとなりました。薬局経営者として最も大きな出会いであった事は言うまでもありません。
『 マツキヨはじめ大手チェーンが進出するなかで目指したのは「地域密着型薬局」 』
その頃は、OTCと調剤でスタートしました。OTCは市販薬のことです。当時は医薬分業が始まり、薬局で処方箋を受け取る時代になっていました。
調剤を始めるのは3つのケースがありました。①たまたま店のそばにクリニックがあり、調剤を始めたケース②大手調剤チェーンがクリニックの近くに出店するケース③先に場所を確保して物販を始め、近くにクリニックを誘致するケース。
私が手掛けたのは3つめのケースです。これは業界でも珍しく、初のケースではないかと自認しています。
力を入れてきたのは地域密着型の経営と、薬剤師育成研修です。折しも調剤チェーンが次々と上場し、台頭し始めていました。マツキヨはじめ規模の大きなところが次々と進出。それをみて、「地域密着」と「差別化商品」で勝負しようと思いました。
専門性のある薬と健康食品をそろえること。そしてお客様への懇切丁寧な説明ができることにこだわりました。 たとえばプロテインを例にとってみましょう。お店の馴染み客にアメフト部の選手がいます。アメフトのポジションが変わるとお店に相談にいらっしゃいます。なぜならポジションにより、筋肉の付け方が変わる為 鍛えたい筋肉によりプロテインの配合種類が変わるからです。
16年前、株式会社エスキューブを立ち上げました。これは共同物流センターを持つ 共同販売機構です。再販制度が撤廃されるなど世の中の急速な変化の中で、大手ドラッグチェーンは標準化した店舗を競うように出店し、規模競争に邁進していました。その結果、多くの小規模薬局は販売力を失い、調剤のみへの店舗へと転身または廃業へと追い込まれていきました。
そのような業界変化を察知し、従来の既存ボランタリーチェーンの発想では目指す併設型店舗は不可能な時代と感じ、若手経営者有志で設立したのがエスキューブです。
本当の意味での「地域密着型薬局」は、上場企業のような全国展開での転勤や離職率の高い人員構成、ましてやセルフ販売では、真のセルフメディケーションとは言えず、地域医療機関や施設との連携や近隣との本当の意味での地域密着はありえません。そこで一定エリア内で深く根差した地域展開薬局だけを目的とする仲間で運営しています。 大手チェーンにより淘汰が進むなか、共同仕入れのみを目的とする従来型薬局とは異なる形で、都内14社30店を束ねる1チェーンとしての機能をもちながら、大手と遜色のない物流・システム・商品仕入を実現しました。また、店舗レイアウトから社員教育や販売活動まで、地域に応じた活動を行い、信頼を得ることにつながりました。
『 在宅ケアに力をいれ、地域のみなさんの「かかりつけ薬剤師」に 』
ここ10年は「在宅調剤に対応しないと生き残れない」ということでした。そこで調剤を組織化して地域包括支援活動やケアマネとの連携を推進して来ました。
今でこそ薬剤師による在宅調剤の取り組みは広がっていますが、当時は社員理解が大変でした。力を入れたのは様々な要望にチームとして対応できる組織作りでした。
たとえば「薬といっしょに、ペッドボトルのお水と歯ブラシを持ってきてほしい」といわれたとします。個人の薬局では対応しにくいことも、エスキューブによる共同物流の仕組みがあるので、ペットボトルの水1本とか歯ブラシも在宅訪問時に対応可能です。お客様から依頼をうけると、薬剤師が薬+生活消耗品を一緒にお届けしています。そのような多様ニーズ対応は「併設型薬局の優位性」があるからです。
現在、薬剤師は27人です。車3台、3輪バイク、自転車各1台で、特養やグループホームなどの11の施設を回っています。居宅患者数は100人を超え、多摩センター店は常勤3人 他2店舗でも連携し計6人が在宅を担当しています。
薬剤師の採用にも注力しています。ラインを活用して薬学フォーラムを開き、大学5年頃から毎年7大学の学生とつながっています。学生には、「市販、調剤、在宅の3つができてこそ次世代薬剤師」と話をします。
市販、調剤のどちらか一方しか勉強していない薬剤師は片手落ちであり これから時代は通用しないと指導しています。
市販薬は薬剤師の力がためされます。飲み合わせはどうか、お客様が訴える症状に効く薬はどれか・・・。風邪薬だけとっても30種類以上あります。解熱した方がよいのか、そうでないのかなどを判断しながらお勧めします。
一方 調剤は医師の先生方や在宅なら家族や看護師の方々とコミュニケーション能力が最も重要となります。どちらもいわゆる 『人間力』です。
多摩市は高齢化が急速に進んだエリアです。そのなかで最期まで自分らしく安心して暮らすために、地域密着型薬局と薬剤師が担う役割は大きいと考えています。
ひとつが「ポリファーマシー」です。ポリファーマシーとは、医療費抑制の一環として 国から 今 薬局が一番求められている 薬剤費適正化の為のチェック作業です。
その鍵を握るのは「かかりつけ薬剤師」です。個別の相談にのり、適切な薬の服用を指導します。「体調変化はどうですか?」などお声がけしながら、相談を受けています。なかには「先生には言い忘れて・・・」という悩みを伺うこともあり、医師とのコミュニケーションの橋渡し役をすることもあります。
国の定める 『健康サポート薬局』を全店が認可を受けている以上、時代やお客様のニーズに対応しながら常に自分たちも変化し、地域にないと困る薬局をこれからも目指して行きたいと思います。